雛人形

鎧飾り
平安清秀作 7号大鎧平台飾り

平安清秀作 7号大鎧平台飾り-1
サイズ
間口80cmX奥行60cmX高さ88cm

価 格
¥140,000
  • 平安清秀作 7号大鎧平台飾り-1
  • 平安清秀作 7号大鎧平台飾り-2
  • 平安清秀作 7号大鎧平台飾り-3
  • 平安清秀作 7号大鎧平台飾り-4

鎧飾り
一久作 7号大鎧二曲屏風平台飾り

一久作 7号大鎧二曲屏風平台飾り-1
サイズ
間口69cmX奥行45cmX高さ75cm

価 格
¥186,000
  • 一久作 7号大鎧二曲屏風平台飾り-1
  • 一久作 7号大鎧二曲屏風平台飾り-2
  • 一久作 7号大鎧二曲屏風平台飾り-3
  • 一久作 7号大鎧二曲屏風平台飾り-4

鎧飾り
鈴甲子雄山作 7号
大鎧褄取り大鎧二曲屏風平台飾り

鈴甲子雄山作 7号 大鎧褄取り大鎧二曲屏風平台飾り-1
サイズ
間口69cmX奥行45cmX高さ75cm

価 格
¥189,000
  • 鈴甲子雄山作 7号 大鎧褄取り大鎧二曲屏風平台飾り-1
  • 鈴甲子雄山作 7号 大鎧褄取り大鎧二曲屏風平台飾り-2
  • 鈴甲子雄山作 7号 大鎧褄取り大鎧二曲屏風平台飾り-3
  • 鈴甲子雄山作 7号 大鎧褄取り大鎧二曲屏風平台飾り-4

鎧飾り
鈴甲子雄山作
織田信長公南蛮甲冑平台飾り

鈴甲子雄山作 織田信長公南蛮甲冑平台飾り-1
サイズ
間口75cmX奥行51cmX高さ77cm

価 格
¥219,000
  • 鈴甲子雄山作 織田信長公南蛮甲冑平台飾り-1
  • 鈴甲子雄山作 織田信長公南蛮甲冑平台飾り-2
  • 鈴甲子雄山作 織田信長公南蛮甲冑平台飾り-3
  • 鈴甲子雄山作 織田信長公南蛮甲冑平台飾り-4

鎧飾り
宮冑作 7号大鎧一段飾り

宮冑作 7号大鎧一段飾り-1
サイズ
間口90cmX奥行60cmX高さ105cm

価 格
¥206,000
  • 宮冑作 7号大鎧一段飾り-1
  • 宮冑作 7号大鎧一段飾り-2
  • 宮冑作 7号大鎧一段飾り-3
  • 宮冑作 7号大鎧一段飾り-4

鎧飾り
平安道翠作 8号 「京鎧」平台飾り

平安道翠作 8号 「京鎧」平台飾り-1
サイズ
間口80cmX奥行60cmX高さ88cm

価 格
¥248,000
  • 平安道翠作 8号 「京鎧」平台飾り-1
  • 平安道翠作 8号 「京鎧」平台飾り-2
  • 平安道翠作 8号 「京鎧」平台飾り-3
  • 平安道翠作 8号 「京鎧」平台飾り-4

鎧飾り
鈴甲子雄山作 8号大鎧平台飾り

鈴甲子雄山作 8号大鎧平台飾り-1
サイズ
間口85cmX奥行48cmX高さ72cm

価 格
¥213,000
  • 鈴甲子雄山作 8号大鎧平台飾り-1
  • 鈴甲子雄山作 8号大鎧平台飾り-2
  • 鈴甲子雄山作 8号大鎧平台飾り-3
  • 鈴甲子雄山作 8号大鎧平台飾り-4

鎧飾り
一龍作 10号大鎧二曲屏風平台飾り

一龍作 10号大鎧二曲屏風平台飾り-1
サイズ
間口80cmX奥行60cmX高さ89cm

価 格
¥292,000
  • 一龍作 10号大鎧二曲屏風平台飾り-1
  • 一龍作 10号大鎧二曲屏風平台飾り-2
  • 一龍作 10号大鎧二曲屏風平台飾り-3
  • 一龍作 10号大鎧二曲屏風平台飾り-4

鎧飾り
鈴甲子雄山作 10号
純金箔押小礼朱赤糸威大鎧平台飾り

鈴甲子雄山作 10号 純金箔押小礼朱赤糸威大鎧平台飾り-1
サイズ
間口90cmX奥行50cmX高さ87cm

価 格
¥301,000
  • 鈴甲子雄山作 10号 純金箔押小礼朱赤糸威大鎧平台飾り-1
  • 鈴甲子雄山作 10号 純金箔押小礼朱赤糸威大鎧平台飾り-2
  • 鈴甲子雄山作 10号 純金箔押小礼朱赤糸威大鎧平台飾り-3
  • 鈴甲子雄山作 10号 純金箔押小礼朱赤糸威大鎧平台飾り-4

鎧飾り
一久作 10号大鎧一段飾り

一久作 10号大鎧一段飾り-1
サイズ
間口90cmX奥行55cmX高さ90cm

価 格
¥237,000
  • 一久作 10号大鎧一段飾り-1
  • 一久作 10号大鎧一段飾り-2
  • 一久作 10号大鎧一段飾り-3
  • 一久作 10号大鎧一段飾り-4

鎧飾り
平安道翠作 10号大鎧一段飾り

平安道翠作 10号大鎧一段飾り-1
※ 台には家紋をお入れします。

サイズ
間口90cmX奥行55cmX高さ105cm

価 格
¥310,000
  • 平安道翠作 10号大鎧一段飾り-1
  • 平安道翠作 10号大鎧一段飾り-2
  • 平安道翠作 10号大鎧一段飾り-3
  • 平安道翠作 10号大鎧一段飾り-4

鎧飾り
和風作 12号「華城」大鎧一段飾り

和風作 12号「華城」大鎧一段飾り-1
サイズ
間口105cmX奥行60cmX高さ120cm

価 格
¥259,000
  • 和風作 12号「華城」大鎧一段飾り-1
  • 和風作 12号「華城」大鎧一段飾り-2
  • 和風作 12号「華城」大鎧一段飾り-3
  • 和風作 12号「華城」大鎧一段飾り-4

鎧飾り
平安道翠作 12号
「京鎧」大鎧一段飾り

平安道翠作 12号  「京鎧」大鎧一段飾り-1
※ 台には家紋をお入れします。

サイズ
間口105cmX奥行63cmX高さ130cm

価 格
¥323,000
  • 平安道翠作 12号  「京鎧」大鎧一段飾り-1
  • 平安道翠作 12号  「京鎧」大鎧一段飾り-2
  • 平安道翠作 12号  「京鎧」大鎧一段飾り-3
  • 平安道翠作 12号  「京鎧」大鎧一段飾り-4

鎧飾り
雄山作 13号 「天山」
純金箔押赤糸縅大鎧一段飾り

雄山作 13号 「天山」 純金箔押赤糸縅大鎧一段飾り-1
※ 台には家紋をお入れします。

サイズ
間口120cmX奥行63cmX高さ123cm

価 格
¥419,000
  • 雄山作 13号 「天山」 純金箔押赤糸縅大鎧一段飾り-1
  • 雄山作 13号 「天山」 純金箔押赤糸縅大鎧一段飾り-2
  • 雄山作 13号 「天山」 純金箔押赤糸縅大鎧一段飾り-3
  • 雄山作 13号 「天山」 純金箔押赤糸縅大鎧一段飾り-4

鎧飾り
平安武久作 13号
裾裏打本金箔押小札朱赤糸縅
大鎧毛氈飾り

平安武久作 13号 裾裏打本金箔押小札朱赤糸縅 大鎧毛氈飾り-1
※ 提灯には家紋をお入れします。

サイズ
間口140cmX奥行100cmX高さ93cm

価 格
¥700,000
  • 平安武久作 13号 裾裏打本金箔押小札朱赤糸縅 大鎧毛氈飾り-1
  • 平安武久作 13号 裾裏打本金箔押小札朱赤糸縅 大鎧毛氈飾り-2
  • 平安武久作 13号 裾裏打本金箔押小札朱赤糸縅 大鎧毛氈飾り-3
京甲冑界屈指の名匠・平安武久が手掛けた大鎧です。
小札部分には本金箔を施した朱赤糸の大鎧です。
提灯には貴家の家紋をお入れします。

鎧飾り
雄山作 三分之一
「竹雀」大鎧一段飾り

雄山作 三分之一 「竹雀」大鎧一段-1
サイズ
間口120cmX奥行60cmX高さ100cm

価 格
¥495,000
  • 雄山作 三分之一 「竹雀」大鎧一段-1
  • 雄山作 三分之一 「竹雀」大鎧一段-2
  • 雄山作 三分之一 「竹雀」大鎧一段-3
  • 雄山作 三分之一 「竹雀」大鎧一段-4
春日大社(奈良県)所蔵の国宝竹雀金物赤糸縅大鎧を三分の一の大きさで模写。

この鎧は一説に源義経所用と伝えられるものでありますが、製作は形制、金工技術からみて鎌倉末期と思われます。また吹返にみられる桐、竹、菊、藤に雀を配した大金物の意匠は、春日大社の紋である藤花と朝廷の菊桐紋を組み合わせた意匠であるともいわれています。このような細緻で華麗なものは、やはり春日大社奉納を目的とした特別の注文によって製作されたものだといえるでしょう。一つ一つの技術は最高の出来を示しており、この金工技術一つとってみても価値の高い鎧です。

鎧飾り
忠保作 三分之一
伊達政宗公大鎧平台飾り

忠保作 三分之一 伊達政宗公大鎧平台飾り-1
サイズ
間口105cmX奥行55cmX高さ100cm

価 格
¥309,000
  • 忠保作 三分之一 伊達政宗公大鎧平台飾り-1
  • 忠保作 三分之一 伊達政宗公大鎧平台飾り-2
  • 忠保作 三分之一 伊達政宗公大鎧平台飾り-3
  • 忠保作 三分之一 伊達政宗公大鎧平台飾り-4
【武将列伝】 伊達政宗(だてまさむね)

遅れて来た英雄。
あと10年早く生まれていれば、天下を取っていたかもしれない言われている、遅れて来た英雄、伊達政宗。
山形県の一大名だった正宗が近隣のライバルを次々と撃破して、東北一の大大名になったのは、なんとまだ23歳の時のことで、その他戦国のメジャー大名の23歳頃はどうだったかと言えば、織田信長ならば尾張一国すら統一しておらず、隣の今川義元の動向にビクビクしている日々を送っていたし、秀吉に至ってはまだ一足軽に過ぎない年齢です。
武田信玄の23歳頃と言えば、ようやく信濃侵攻を開始したぐらいだし、ライバルの上杉謙信にしても、まだやっと越後一国を統一したくらいです。
もともとが大大名の跡取りとして生まれてきた北条氏政や毛利輝元などを除けば、己が実力だけで23歳にして東北地方の覇王にまでのし上がった正宗の快挙は実に見事なものです。

鎧飾り
鈴甲子雄山作
織田信長公南蛮甲冑平台飾り

鈴甲子雄山作 織田信長公南蛮甲冑平台飾り-1
サイズ
間口77cmX奥行50cmX高さ98cm

価 格
¥326,000
  • 鈴甲子雄山作 織田信長公南蛮甲冑平台飾り-1
  • 鈴甲子雄山作 織田信長公南蛮甲冑平台飾り-2
  • 鈴甲子雄山作 織田信長公南蛮甲冑平台飾り-3
  • 鈴甲子雄山作 織田信長公南蛮甲冑平台飾り-4

鎧飾り
雄山作 10号
「本多忠勝公之」大鎧一段飾り

雄山作 10号 「本多忠勝公之」大鎧一段飾り-1
サイズ
間口81cmX奥行50cmX高さ120cm

価 格
¥485,000
  • 雄山作 10号 「本多忠勝公之」大鎧一段飾り-1
  • 雄山作 10号 「本多忠勝公之」大鎧一段飾り-2
  • 雄山作 10号 「本多忠勝公之」大鎧一段飾り-3
  • 雄山作 10号 「本多忠勝公之」大鎧一段飾り-4
錣(しころ)・草摺(くさずり)・佩楯(はいたて)を全て本牛皮で仕上げ、数珠には純金箔を押した「戦国最強」の名を欲しいままにした本多忠勝公の大鎧です。

【武将列伝】 本多平八郎忠勝(ほんだへいはちろうただかつ)

本多忠高の長男として天文17年(1548年)三河国額田群蔵前で生まれる。(現愛知県岡崎市西蔵前町)
初陣は永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで、その時叔父である忠真が倒した武将を忠勝の手柄にして武功を飾らせようとしたが忠勝は「我何ぞ人の力を借りて、以て武功を立てんや」と断固拒否。
そのまま敵陣に駆け入り、敵の首級を挙げてみせた。
後に家康が大敗する三方ケ原の戦いの前哨戦である一言坂の戦いでは、「不死身の鬼美濃」の異名を持つ武田四名臣の一人馬場信春の部隊を相手に奮戦し、敗走する味方を逃がすため殿軍を務め、敵味方の間に割って入り、愛槍蜻蛉切を頭上高く振り回して踏みとどまり、さらに武田軍が追撃しようとする度に数度馬首を返し、見事な進退で味方を無事退却させた。
その戦いぶりを見た武田信玄家臣、小杉左近から「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」と絶賛されました。
似たような狂歌で「三成に過ぎたるものは二つあり、島の左近に佐和山の城」という歌があります。

元亀元年には姉川の戦いにも参加し、家康本陣に迫る朝倉軍一万に対して無謀とも思える単騎駆けを敢行。その時必死に忠勝を救出しようとする家康軍の行動が反撃となり、榊原康政隊の奇襲とも相まって朝倉軍を打ち崩したとされています。
織田信長公には並外れた武勇を「花美兼備の勇士」と讃えられ、豊臣秀吉公からは「日本第一、古今独歩の勇士」と称されました。古今独歩(ここんどっぽ)とは「今も昔も並び立つ人物はいない」という意味です。
しかし意外な一面も持ち合わせていたといわれています。
戦場に出て敵と戦うときはまさに天下無双だった忠勝ですが、教練などでの槍術は甚だ不器用で戦場での忠勝とはまるで別人のようであったという話です。

また義に厚い人物でした。
関ヶ原の戦いの直前には真田家との和睦の道を模索する主君家康に自らの娘小松姫を養女に出し、真田昌幸の長男、真田信行に嫁がせました。
その縁で真田信行は家康に仕えるのですが、真田昌幸と次男、真田信繁(幸村)は西軍に属し、わずか800の兵で家康の次男秀忠率いる3万の軍勢を上田に釘付けにし、家康軍は窮地に立たされる結果となりました。
関ヶ原の戦いの後、忠勝は真田信行と共に昌幸、信繁両名の助命を家康に嘆願しますが、両名に散々煮え湯を飲まされている家康、秀忠親子は強硬に拒否し死罪を主張しました。
その時忠勝は昌幸、信繁親子を助けるため家康と一戦交える覚悟でいたとされ、戦支度も整えてあったといわれています。
それを知った家康は慌てて死罪を取り下げ、紀伊高野山山麓の九度山に蟄居謹慎という処分に変更したとされています。

生涯において大小様々な合戦に参加し、その数は57回に及んだといわれ、いずれの合戦においてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられていますが、隠居した理由は合戦において線傷一つをつけられたことといわれています。
愛槍、蜻蛉切(とんぼきり)の名前の由来は、戦場で槍の切っ先に止まった蜻蛉が真っ二つにきれたことから蜻蛉切といわれています。天下三名槍の一本にも数えられています。
自ら葬った敵に敬意を払い、弔うため肩から大数珠をさげるのが常であったと伝えられています。